2020.05.04
台湾の「天才IT大臣」 − 唐鳳
新型コロナウィルス(COVID-19)の流行により、日本人から「台湾の天才IT大臣」と呼ばれる「唐鳳(とう ほう)」に多くの人が気づきましたが、今回日本のWikiに載っていない唐鳳の逸話を紹介します。
Photo credit: COSCUP on VisualHunt / CC BY-SA
- 両親は両方ともプレス分野で有名。父は大手新聞社の元副編集長、母は大手週刊元副編集長です。
- 中国語、英語、一部の台湾語、フランス語、ドイツ語が話せます。
- インターネットの価値の影響により、自分を「アナキスト」と呼んだ。
- 一部の雑誌はかつて唐鳳が複数のテストを受けており、IQが平均で180を超えていたと主張していました。しかし、唐鳳自身は「180は身長を指す」と言いました。また成年者の160以上のIQは無意味であるとも述べています。測定できないからです。
- 5歳の時、すでに読書が大好き。さまざまな国の古典作品を読んだり、小学校1年生で連立方程式を解いたりしていました。
- 8歳のとき、Applesoft Basicやその他のプログラム関連の本を見つけ、論理学と数学に惹かれました。 当時、英語を理解しておらずコンピューターも持っていませんでした。 紙の上にキーボードと画面を描き、考えられる出力を書き出し、プログラミングの方法を学習。 母がPCを購入してから実際にプログラムを書くことを学びました。
- PCを手に入れた数ヶ月後、弟のため、最初のアプリを開発しました。
- 才能のために仲間と上手くいかないこともありました。同級生からの嫉妬や、いじめもあったようです。母は唐鳳のために学校を一時的に休ませ、その後勉強を再開しました。小学校の期間に合計6つ、学校を換えました。自身によると、学校を変更する理由は必ずしもいじめによるものではなく、独自の適応問題もあるということです。
- 1991年、父親の仕事のため母とともに唐鳳と弟もドイツに移住。1994年に台湾に戻りました。ドイツの教育方法の影響により、母は代替教育法を研究し、その後最初の学生主導の実験小学校「種籽親子実験学苑」を設立しています。
- 中学1年生のとき、親の支援を受け家庭での独学を開始しました。それ以来どの学校にも進学していません。したがって、最高の学歴は「中学校」です。
- 独学期間中、台湾大学の学生「賀元」らと共同で本を出版し、そして1995年、賀元と共に「資迅人」という会社を設立し、唐鳳は最年少株主です。
- 1996年、1週間を費やしてインターネットで検索するためのアプリケーションを開発しました。 同じ年の12月に Computex Taipei でデビューし、1か月で一万セット以上を販売しました。この成功によりハイテク分野で有名になりコンサルタントになること増えました。そして、Intel からも注目を集め、会社の株主になります。
- 「資迅人」辞め、本格的にコンサルタントになりました。何度も会社を設立して転売し、BenQやAppleなどのコンサルタントも務めました。
- Appleのコンサルタントとして、1時間の作業に1ビットコインを請求します。
- 長い間オープンソースコミュニティのコラボレーションを推進しており、この分野で一定の評価を得ています。
- 2012年、いくつかの政策が国民の不満を引き起こし、「Hacker 15」チームが政府の予算などの情報を収集し、インターネットで公開しました。その後、唐鳳が組織に加わり、国民が監視および修正できるように公共部門における情報の透明性を促進するために「g0v零時政府」を結成しました。
- いくつかの考慮後、2016年8月、「政務委員(国務大臣)」となる政府の招待を受け入れました。台湾の歴史の中で最年少の政務委員でした。 そして最初のトランスジェンダーキャビネットメンバー。
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Cover photo credit: daisuke1230 on Visual Hunt / CC BY-SA